- 寸法:縦2.0cm×横1.4cm
かわいらしい花かごの不思議のメダイです。
プレゼントとしても、好評です。
【わたしたちの希望の星マリア】(クリックで開きます)
このような希望を示すすばらしい姿として、神はわたしたちに、イエスの母マリア、人類が咲かせた最も美しい花であるマリアを立たせました。
マリアというイスラエルの若い娘を、神ご自身が選ばれたのです。
そしてマリアの存在の最初の瞬間から、彼女をその恵みで満たし、人間となった神の御子イエスの母となるようにマリアを予定したのです。
・・・・・・
マリアは神を信じました(ルカ1・45)。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」(ルカ・38)というのが、御子の誕生を告げられたときのマリアの答えでした。
また、マリアは、最愛の子が十字架にはりつけられたそのとき、十字架のそばに立っていました(ヨハネ19・25)。
そのときに至ってもイエスを信じていた者は、おそらくその母マリアだけであったでしょう。
また、マリアは聖霊が下ってきたあの日にも、使徒たちのただ中にいました(使徒言行録1・14、2・1)。
そして、マリアのめだたない謙そんな生涯が終わったときに、御子イエスはマリアを自分の復活にあずからせ、自分のもとに引き上げたのです。
マリアは神の愛を浴び、イエス・キリストによってあがなわれ、聖霊によって満たされた人間の完全な姿を示す者です。教会の最もすぐれたメンバー、すべてのキリスト者の模範です。
そしてマリアは、御子のもとに天国においても、手をこまねいているわけではありません。
母の心をもって、ただ自分の産んだ子イエスだけではなく、イエスの兄弟であるわたしたちをも愛しています。
わたしたちは皆イエスの兄弟ですから、マリアの子でもあります。
マリアはつねにわたしたちのために神のみもとにとりなしをしているのです。
マリアは、わたしたちにとって神の愛とイエスの心の鏡です。
マリアの母性愛こそ、イエスの一生涯、死と復活がわたしたちに示したと同じことをわたしたちに告げているのです。
それは、神は慈しみ深いということにほかなりません。
キリスト者であるということは、このことを信じ、この信仰にもとづいて、今も永遠にも、生きるということなのです。
──『キリスト教とは何か』(女子パウロ会 発行)よりマリアというイスラエルの若い娘を、神ご自身が選ばれたのです。
そしてマリアの存在の最初の瞬間から、彼女をその恵みで満たし、人間となった神の御子イエスの母となるようにマリアを予定したのです。
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マリアは神を信じました(ルカ1・45)。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」(ルカ・38)というのが、御子の誕生を告げられたときのマリアの答えでした。
また、マリアは、最愛の子が十字架にはりつけられたそのとき、十字架のそばに立っていました(ヨハネ19・25)。
そのときに至ってもイエスを信じていた者は、おそらくその母マリアだけであったでしょう。
また、マリアは聖霊が下ってきたあの日にも、使徒たちのただ中にいました(使徒言行録1・14、2・1)。
そして、マリアのめだたない謙そんな生涯が終わったときに、御子イエスはマリアを自分の復活にあずからせ、自分のもとに引き上げたのです。
マリアは神の愛を浴び、イエス・キリストによってあがなわれ、聖霊によって満たされた人間の完全な姿を示す者です。教会の最もすぐれたメンバー、すべてのキリスト者の模範です。
そしてマリアは、御子のもとに天国においても、手をこまねいているわけではありません。
母の心をもって、ただ自分の産んだ子イエスだけではなく、イエスの兄弟であるわたしたちをも愛しています。
わたしたちは皆イエスの兄弟ですから、マリアの子でもあります。
マリアはつねにわたしたちのために神のみもとにとりなしをしているのです。
マリアは、わたしたちにとって神の愛とイエスの心の鏡です。
マリアの母性愛こそ、イエスの一生涯、死と復活がわたしたちに示したと同じことをわたしたちに告げているのです。
それは、神は慈しみ深いということにほかなりません。
キリスト者であるということは、このことを信じ、この信仰にもとづいて、今も永遠にも、生きるということなのです。
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